幻の鍋そば(壇一雄が佐藤春夫を招待した蕎麦屋「一房」)
昭和43年頃の話です。
その蕎麦屋は、東京池袋西口の警察署の一角にあった。
古い大きな木造建ての小割りされた何軒かの店舗のひとつであった。
店の入口には、色あせた暖簾に、手打ちそば「一房」と書いてあった。田舎じみた店構えであった。
しかし、何故か、引き付けるものを感じた。
無性に手打ちそばが食べたくなって、店に入ったその一瞬「しまった!」と思った。
昼時なのに、客が一人も入っていない。
だが、そこの親父と目が合ってしまった。すでに遅しである。
陰気なブルドックのような顔つきの、頭の禿げ上がった親父が、空虚で閑散とした店内から「いらっしゃい」とすかさず無愛想な挨拶をしてきた。
カウンターのメニューを見て、益々やばいなと思った。
とにかく値段が高い。
覚悟して、安めのきつねそばを注文した。横着そうな親父は、奥の厨房に入り蕎麦を打ち始めた。
カウンター7~8席、テーブルが4人がけ2台、奥に小さな座敷はあるが、雑誌や家財道具が雑然と積み上げられ、もはや客席ではない。
しかし、変な店である。雑然としているのに、親父が仕事をし始めると、あっという間に、店内は、気が満ちてきて、何故か空気がきりりとしてきた。
この店では、客が来てから蕎麦を打ち始めるようだ、等と考えながら店の雰囲気を観察した。
小さな店内には、飾りらしいものといえば、額に入ったB4サイズの写真が壁に飾ってあるものだけであった。
写真には2人の男性が、この店で鍋を囲みながら、楽しそうに酒を酌み交わしている情景が写っていた。
写真の枠の下に「佐藤春夫と壇一雄昭和○年○月○日」と記してあった。
きつねそばは、本当に美味しかった。
具の油揚げは丁寧に余分な油を落としてあり、油揚げの旨みをうまく引き出し煮付けてある。
具の量も満足。
すりたてのもみじおろし、ゆず、三つ葉等の香りが、蕎麦の出し汁に溶け込み、この上ない出し汁となっている。
腰のしっかりしたつなぎなしの蕎麦は、良質のそば粉の味と香りがした。
私は、写真の2人が食べている鍋は何かを、恐る恐る、親父に尋ねた。
親父は、出雲の近くのイワミ(石見銀山のことだろうか?)の鍋そばだと言い、そこの出身だと答えた。
よし、今度は鍋そばを食べに来よう、と思った。
佐藤春夫のさんまの歌は、中学生のとき、暗記させられたことがあった。
妻に逃げられたやもめの佐藤春夫が、谷崎潤一郎の妻に思慕する気持ちを歌ったもので、女々しい詩だなと思いつつも、思春期の我々も何故か同情する気持ちに誘われてしまったものだ。
そんな佐藤春夫に「火宅の人」壇一雄が一緒に楽しそうに、鍋そばを食べながらどんな話をしていたのだろうか?
近くの目白のアパートには、彼女が待っていたのかな?
そこで早速、文学好きで、美味しいものに目がない軍資金豊富な叔父を誘って、鍋そばを食べに再訪した。
相変わらず、客は誰もいなかった。
親父は一人で、店の酒を飲んでいた。
「親父さん、鍋そばを食べたいんだけれど。」と言うと、親父は「はいよ」と言って席を立ち、厨房に向かう用意をした。
「この店は、待ち時間が長いので何かつまみを突っつきながら、酒でも飲んで待っていましょう。」と叔父に囁き、親父に酒とつまみを注文する。
親父は「鍋そばの具がつまみになるよ。その他のつまみは、こぶの佃煮しかないよ。」と、ぶっきらぼうに言った。
私はそれでもいいから頂戴と応戦した。
親父は、テーブルにガス台と水を入れた鍋を用意すると、鍋そばの仕込みに入った。
こぶの佃煮とイワミの地酒の原酒を飲みながら、しばらく叔父とおしゃべりをしながら待つ。
酔いの回りがいつもより速い。
かなり普通の日本酒より度数が高いようだ。
漸く、親父は蕎麦の箱に、打ちたての打ち粉がたっぷりかかった生そば、蕎麦猪口、蕎麦徳利、10種類ぐらいの薬味と具をテーブルの鍋の横に並べ始めた。
そして親父は、食べ方を説明してくれた。
「鍋そばは、沸騰した湯の中にすぐ食べる分だけ生そばを入れて、そばがふわっと浮き上がってきたら、すくい上げて、そばつゆにつけて食べる。
薬味と具を適当にそばと一緒に入れて食べなさい。
酒のつまみにしながらね。」と自信ありげに説明をする。
具は、入り卵、切り海苔、煮鳥、おかか、きざみねぎ、ミョウガ、三つ葉、もみじおろし、ゆず等であった。
蕎麦は、茹でたらすぐ冷水で締めてから使うのが普通である。鍋そばは違う。
言われた通り、早速、鍋に生そばを入れた。
1分もしない内に、本当にそばが、鍋の底から浮き上がってきた。
アツアツのとろりとした感触のそばを、私たちは夢中で食べ始めた。
次に、具をいろいろ試しながら、組み合わせを変えて食べてみた。
原酒と具、そばと具、酒のおかわりをしながら、浮き上がってくるそばを慌てて、そばつゆにつけて、ふうふう言いながら口の中にかっ込む。
つゆはきりりと締まりがよい。甘味を抑えて、濃厚であった。まさに、鍋そばのためのつゆであった。
食と酒が進むと体の芯まで温まってきた。
いつのまにか、とろりとしたアツアツのそばの湯と原酒のたるの中で、泳いでいるような気分になってきてしまった。
多分、写真の中の2人も同じ、幸せ気分いっぱいの中にあったに違いないと確信した。
それにしても、グルメな無頼派作家と言われた、壇一雄のうまいものに対する嗅覚にも、その時納得したものだった。
その後、何度かこの店に鍋そばを食べに行ったが、数年後、親父は亡くなり、代は前妻の息子サンに引き継がれたが、しばらくして店は閉じられた。
私は、今でも、あの鍋そばが忘れられず、料理好きの友人には、必ずと言ってもいいぐらい、鍋そばの伝道師になって、簡単な作り方を伝えている。
壇一雄の「火宅の人」は読んだ人も多いと思います。
文庫本に在りますので、まだ読んでいない人は、どうぞ読んでみてください。
沢木耕太郎の「壇」も面白いですよ。壇一雄の未亡人の視点から、沢木耕太郎が婦人にインタビューして構成した、もうひとつの「火宅の人」です。
また、最近「火宅の人」に出てくる愛人さんの本が出ていましたけれど、私は、読んでいません。
ところで、季節はずれだけれど、
さんまの歌・・・・・・・・佐藤春夫
あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ
男ありて 今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食らひて 思ひにふける と さんま、さんま
そが上に青き密柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻に背かれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。
さんま、さんま
さんま苦いか塩っぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいずこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
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